普段、クルマでスーッと走り過ぎるいつもの日常も、たまに足を自転車に変えてみると今まで見えてこなかったものが見えてくる。
それは例えばそれぞれで異なる木々の表情とか、自転車ですれ違うおばちゃんの顔とか、ベンチでひなたぼっこしているおじいちゃんとか。
自転車から徒歩になると更にもっと違うものが見えてくる。
あ、こんなところに花が咲いてるとか、ふと見上げた空に浮かぶ雲が何かの動物の形に似ていたとか、クルマならあっという間に着いてしまう距離を実感するとか。
クルマでもバイクでも回していて心地いい回転域がある。それはエンジンの性格にもよるし、その時の気温・路面状況・同乗者の有無・自分自身のモチベーションなどによって微妙に異なるのだが、その時心地いい回転域で走れている時は運転しててももちろん心地いい。高回転型のエンジンでタラタラ走るのはストレスだし、低回転型をムリして回すのもまたストレス。それぞれが心地いい回転域で走れればそれにこしたことはないのだが、道路を走るには守るべきルールがあるので常に心地いい回転域で走れるとは限らない。
そして昨日、我が家にやってきたKawasaki 250TR。
昨日の記事で楽しく乗れるのは50~80km/hくらいと書きましたが、実質的には60km/hがいいところでしょうか。60km/hというとバイパスだったらクルマにビュンビュン抜かれるスピード。私が過去に所有したバイクの中でも底辺レベルで遅いレンジです。R1-Zはもちろんもっと速いし、比較的のんびりなイメージのSR500でもトルクがある分もっとレンジは上。Ninjaに至っては・・・・まぁ言うまでもありませんね。
250TRで海岸線の道を走る。いつもならバックミラーを気にしながら走るその道を眠くなりそうなスピードでトコトコ走る。横をクルマが追い抜いていくのを気にせずトコトコ走る。ふと視線を横に向けるとおだやかな海。上を見ると青い空。そしてまた淡々と走る。見てるものはいつもと同じなのにバイクが変わるだけでこんなにも見える風景が違うものか。それが今の私には非常に新鮮で、だから遅くてもそれほど苦にならないのかもしれない。いや、正直言えばもう少し力に余裕があればな、とは思うのだけれど、それを苦痛に感じるようになるのはまだ先かもしれない。
雨具とデジカメだけ持って一人でブラリと走りに行きたい。そんな感じ。
どこへ行くとかどこまで走るとかは決めず、気の向くままにトコトコと。
疲れたら休む、途中でおもしろそうな林道を見つけたらちょっと探検してみる、景色のいい所を見つけたらバイクを降りてその風景を楽しむ、夕飯の時間まで折り返しくらいになったら適当に帰る・・・・。
久しぶりに北海道に行ってみたいな、そんな気持ちになりました。
息子が免許を取ってバイクに乗るようになったら二人で旅もいいね。
今のところバイクにはあまり興味なさそうだけど。
まぁ、バイクよりガールフレンドに夢中ってことならそれも構わない。
お父さんはソロツーリングの方が気楽だし。
ここのところ暗い気分になるような記事を書くことが多く、実際世の中で起こってる現実は充分暗くさせる要素満点なわけですが、あまり考えずに乗ることになったバイク1台でわずかでも楽しそうな未来への妄想ができるのはうれしいこと。
しかし、残念ながらまた知りたくもない話を読んでしまいました。
この記事についてどうのこうのと書き始めるとまた長く、しかも暗くなるので今日はやめておきます。
信じるも信じないも、気にする気にしないも、読まれた方それぞれで受け取ってください。
ただ、あと数年で現実になるかもしれない息子との旅ですら叶わないかもと考えると、まるで死刑宣告を受けたような気分です。